日本文化のルーツ、日本最大の照葉樹の森をめぐって、
日本人が今すぐ考えなければいけないこと
白神山地(落葉広葉樹林) が東の横綱とすると、
綾の森(常緑広葉樹林:照葉樹林) は西の横綱です。
けれども、まだあまりよく知られていない森です。
日本文化のルーツとしても貴重な森です。
・宮崎県綾町北西部には、約1700ヘクタールの照葉樹の原生林(東京の環状山手線に囲まれた地域の4分の1ほどの広さ)が広がっています。
・綾の森は、
「朝日森林文化賞」(5.6.30)朝日新聞社、財)森林文化協会、
「水源の森百選」(7.8.4)林野庁、
「日本の自然百選」〔九州中央山地国定公園〕(58.1.1)朝日新聞社、に選ばれています。
照葉樹林のパワーは、じつは落葉広葉樹を上回っています |
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落葉広葉樹(ブナ林) |
照葉樹林 |
植物の出現種数 |
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20種(40u当たり) |
50〜90種
(40u当たり) |
リターフォール量
(落ち葉など・乾物) |
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4.07t/ha・年 |
6.51t/ha・年 |
養分量 |
窒素 |
44.92Kg/ha・年 |
72.75Kg/ha・年 |
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リン |
4.05Kg/ha・年 |
4.78Kg/ha・年 |
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カリウム |
15.98Kg/ha・年 |
24.95Kg/ha・年 |
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カルシウム |
52.81Kg/ha・年 |
72.23Kg/ha・年 |
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マグネシウム |
7.9Kg/ha・年 |
9.84Kg/ha・年 |
酸性雨に |
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弱い |
強い |
●――日本最大の照葉樹林と自然について
・ 宮崎県綾町北西部に約1700ヘクタールの照葉樹の原生林(東京の環状山手線に囲まれた地域の4分の1ほどの広さ)が広がっている。
・ 綾の森は、
「朝日森林文化賞」(5.6.30)朝日新聞社、財)森林文化協会、
「水源の森百選」(7.8.4)林野庁、
「日本の自然百選」〔九州中央山地国定公園〕(58.1.1)朝日新聞社、
に選ばれている。
湧き水などの綾の自然は、
「名水百選」〔綾町湧水群〕(60.7.22)環境庁、
「水の郷」(7.3.22)国土庁、
「青空のまち」(61.6.5)(環境庁大気保全局長)、
「日本一星の見える町」(7.6.30)(環境庁大気保全局長)、
綾の町作り等は、
「緑化推進」(元.7.11)内閣総理大臣、
「ふるさとづくり大賞」(3.3.3)内閣総理大臣、
「環境保全型農業推進コンクール大賞(第1回8.2.27)農林水産大臣、
「首長が選ぶ元気な自治体西の横綱」(10.1.26)共同通信社
「旅のまち30選」(4.5.16)日本旅ペンクラブ、
等に選ばれその他20余りの賞を受賞している。
・ 綾の森は、九州南部から秋田県海岸部、岩手県南部を北限とする日本の照葉樹林の種の起源とも言える地域に属している。(沖縄の照葉樹林とは、種の起源を含め別に考えられている)
・ ちなみに、現在日本に残っている照葉樹林の面積は、元あったと想定される面積の約0.6%という説があり、そういった状況の中で綾の森は奇跡的に広範囲に残された。その大きさは日本最大規模。
・ 現在、各地に点在している照葉樹林は規模が小さいため、それらは本当の自然の状況とは考えにくい。その点、綾の自然林は自然の状態が良好に保たれており、動植物が非常に豊か。保水力が高く、新鮮な空気や水を生んでいる。
・ 植生に関しては、ブナ林にない樹上着生ランや珍しい大型の地上ラン科植物の宝庫でもある。
宮崎農業高校の河野耕三氏は、ざっと数え上げただけでも50種のランがあると述べ、また出現種数の多さでは、針葉樹林や落葉広葉樹林をはるかに上回っていることを指摘している。(例400平方メートル当たりブナ林では平均20〜30種に対し、綾の照葉樹林では一般に50種。良好な場所では60〜90種)
・ 動物では、希少生物のクマタカを始めとしてイヌワシ、カモシカ、シカ、イノシシ、アナグマ、タヌキ、キツネ、テン、ウサギ、ムササビが生息する。川には、「黄金の鮎」、カジカなどが生息する。
●――照葉樹とは?(及び照葉樹の特性)
・ 東南アジアから日本にかけて見られる常緑広葉樹。小さく厚みのある葉が特徴。カシやシイ,タブ,クス,イス,ヤブツバキ,サカキなどが代表的な樹種。葉には乾燥と寒さを防ぐために進化したクチクラ層というワックスのような層があり,それが葉の表面を光らせているところから、照葉樹という名がついた。
・ 照葉樹林のリターフォール量(落ち葉や木から落ちる不必要なもの)は落葉広葉樹の約1.5倍もある。養分量も,窒素が1.6倍,リンは1.2倍,カリウムは1.6倍,カルシウムは約1.4倍ある。
・ 照葉樹林は酸性雨にも強いという説があり、綾の森の土壌はその影響をあまり受けておらず pH6〜7と極めて良好。20年後も酸性化しないだろうと言われる。照葉樹の葉のクチクラ層が酸性雨による養分の溶脱を防いでいるからだという説もある。
●――綾の森と照葉樹林文化について
日本の本州南半分に広がる照葉樹林地帯には,ヒマラヤから中国南部、東南アジアにかけての地域と共通の生活文化様式が見られる。これを照葉樹林文化と名付け提唱したのは故・中尾佐助氏。
稲,キビ,アワ,茶,シソ,柑橘類,コンニャク,納豆,養蚕,漆,麹を使った酒作り,歌垣,尺八など日本人の生活に深く根をおろした食生活や文化は国境を越えて照葉樹林帯に広く見られる共通項になっている。
その共通項は、現在の日本文化の基盤ともなっている。
現代の文化様式につながる生活文化を生み育んだ自然の森、照葉樹林が次々と日本の国土から消えていく中で、綾の森だけが最後に残った。日本人の文化のルーツを調べる上でも、綾の森は貴重である。
●――奇跡的に残った綾の森
綾の森が大規模に残ったのは、前町長の郷田實氏の功績による。高度経済成長期、66年、照葉樹林の数百ヘクタールを近くの企業の私有林と交換するという林野庁の計画が持ち上がった。
交換とは、森の伐採につながる可能性が高かった。「森を切ったら、綾の自然が駄目になる」また、「絶対切っちゃいけない。日本のために…・私の頭の中には、失われつつある照葉樹林文化を残さなければという考えがありました」と郷田氏が当時のことを回想して語っているが、森を守るための努力は並大抵のものではなかった。
説得するために、生態系や自然のことについて猛勉強。徹夜で毎日本を読みそのため右目の視力を失った。
郷田氏の一念がやっと通じたのは、消防団。木炭の生産をしていた頃、山火事がよく起きその火を消し命懸けで山を守ってきたのが消防団。消防団長は郷田氏のいうことを理解し、団員を説得・動員して全住民の75%の反対署名を集めた。
郷田氏は、それを議会に提出。反対決議裁決。陳情団を組織し、農林大臣に会見。「国有林は広いのだから地元が困るところを無理にすることはない」ということで伐採計画は中止になった。
参考著書 郷田實著「結の心」(ビジネス社、月刊誌「アネモネ」2000年12月号)
●――鉄塔建設について
木城町に建設予定の小丸川発電所(揚水発電所)と高城町に建設される変電所を送電線で結ぶ計画の一環として、綾町に50万ボルトの送電線が引かれる予定。綾の森を含み、高さ100mもの鉄塔16基が建設されるという計画。来年1月には着工予定。
しかし…・鉄塔建設をめぐっていくつかの問題が浮上している。
@ 一部の鉄塔が人家から350メートルしか離れていないこと(電磁波による健康被害の恐れ)
A 地元住民がよく知らされていないこと…綾の住民自治(自治公民館制度)が名目ばかりで機能停止状態にある
→肝心なことが知らされていない
→議論の場がない
B 絶滅危惧種、クマタカの生息地に影響を及ぼす
C 森の景観が失われること(森や里山の癒しの風景が異物で台無し)
D 自然破壊…・工事による森林伐採により生態系が狂う。また、工事による森林破壊工事のための補助道路や資材置き場のための伐採予定場所が、見るからに崩れやすそうな場所もあり、大雨のときの土砂崩れが心配されること。(大雨時に滝が出来そうめん状に何本も流れるところがある。晴天時は、土肌が見えている)
E 自然や環境を守ることで培ってきた「綾」ブランドの価値が低落するということ…・商品や観光業に対するマイナス的経済効果
「ここに生活している人達は何のための鉄塔か 知らないし、知らされない」綾町竹野地区在住の黒木幸一氏は言う。
鉄塔の建設ルートの一つが綾町の有機農業のシンボルゾーン、竹野、尾立地区。両地区の人家から350メートルしか離れていないところもある。尾立は、綾の有機農業発祥地でもある。竹野、尾立は、有機農家が集まっているところであり、県外から有機農産物の見学に訪れる人達も少なくない。
「尾立には、 霧島の峰まで眺望できるような場所があって自分達の景色や眺望を自慢しているんです。そこに鉄塔が出来ることによって有機農産物の見学に訪れる人達はどう思うでしょうか?昔からの産直の団体、菜っ葉の会(宮崎市)とか、他にもいくつか産直団体があるのですが、そういう人達が訪れるところなのです。私のところにも森林浴がてらここまで買いに来てくれるお客さんは少なくないんです。」
「ペンション『きねずみ』さんも、鉄塔予定地の一つからかなり近いところにあります。オーナーの木村さんは客が少なくなるので、とても困ると言っています。『綾の自然と文化を考える会』事務局長の小川さんのところもそうですね。小川さんのところは、半分以上のお客さんが直接パン工房まで買いにいかれると聞いています。そこからも鉄塔がよく見えますね」(黒木氏)
●――鉄塔建設への意見
・ TBSニュースキャスター、筑紫哲也
2001年11月26日のMRTラジオインタビュー)
「綾町鉄塔問題について、20世紀型のことを21世紀にやっているという印象です。20世紀にはこういうことは、あたりまえだったのだろうけど、新しい世紀になってまだこんなことをやっているのかなと思います。
綾町は、照葉樹林があれだけ残っているお陰で、たくさんの人が見に来るわけでしょう。それは、ある意味では開発なんです。野菜など綾町ブランドも、あの自然の中でできたということで、普通のお野菜より価値が高い。これも一つの開発なんです。自然を壊すんじゃなくて、自然を保つ事によって作っている開発ってあるんですね。それは綾町は、先端的にやってきた。だから、今までの綾町の名声があるんですね。
このように自然環境保全と開発がぶつからない形でやっている時に、今度は古い形の開発が押し寄せてきたというのが高圧線だと思います。
風評被害というのは、この情報化社会では、どうしても避けられない。すごい高圧線が通ると、綾町がせっかくやってきた自分達の開発というものが、相当に被害を受けるんじゃないかと心配します。
高圧線がプラスイメージに働くわけがない。産品に対するイメージもダウンする。景観に対するイメージもダウンする。
こういう問題というのは、自然だけ大事にすればいいのかという反論が出てくるのですが、自然と一緒にせっかくやってきた町作りそのものが影響を受けるのですから、経済的にも影響を受ける恐れがあるでしょう。
・ 参議院議員、中村敦夫
「明らかに無駄な公共事業で日本一の照葉樹林を傷つける愚は、何としても避けなければならない」
・ 上野登 (宮崎大学名誉教授)
「一歩ふみとどまって、鉄塔問題を考え直してください。小丸川発電は揚水発電と聞いています。夜間の余剰電力を効率的に利用するとのことですが、その余剰電力はどこかの原発のようです。
川内(原発)ではなければ串間になりますが、いずれにせよ21世紀は世界的に脱原発の世紀です。すでにUSAで始り、ヨーロッパも同様歩調をとりだしています。日本だけが原発に固執しています。しかし21世紀の環境が憩う時代はそれを許さなくなると考えられます。
綾町での鉄塔建設は、貴重な自然及び景観を保存することと齟齬するだけでなく、21世紀の世界的な潮流にも反する施設の象徴でもあります。2007年からニホンは人口減少社会になり、労働力人口の縮小に伴う経済活動の低下傾向とエネルギー消費量の減少は、右肩上がりの電力行政の変化を要請しています。その時の笑いぐさの種子になるかもしれない鉄塔の残骸は造らないでください」
・ 田中康夫
「美しい景観が永久に続き、自然と共存型生活の豊かさを伝えてくださいますよう、お願いもうしあげます」
・ 環境アセスメントに加わった学者の一人、
宮崎農業高校教師、河野耕三
「森林の中の特殊なところを含め全体として残していかないと種の多様性が保たれない…・・
岸壁、河川部など複合的に地域全体として残されたときに綾の森の多様性の森が保たれるということを忘れてはいけない。また、綾は自然ブランド(照葉樹林都市)で保たれた町である。人間の影響がないのが自然ということだが…・・、(全国からの観光客が)綾に向かったとき、九州山地の山腹に鉄塔が続く姿をみたときに、今から自然に向おうという人間に対して極めて期待感を崩壊させてしまうのではないか。そういうことは、(今までのような)文化を築いていこうとするもくろみが崩れてしまうことにつながる。
自然は全体である。自然でないもの、巨大な鉄塔が出来るということで自然からのエネルギーが途絶える。行く末は、自然を破壊しなければ生きていけないということに、自然を切り売りしていかなければならなくなることにもなりかねない。全部切り売りして、禿山になってしまうことも考えられる」
・ 元NHKアナウンサー、宮沢信雄
「よそから客がくると綾に連れて行くことにしています。どうです素晴らしいでしょう、と自分のものであるかのように自慢するのです。綾の照葉樹林を中心とした自然の景観は綾だけのものではありません。私達の誇りでもあります。その誇りは、これを守ったことへの敬意に裏打ちされています。鉄塔が立っても破壊するのは一部に過ぎないという考えは誤りです」
・ 小丸川揚水発電所の中枢制御機能を設計する業界にいた匿名希望者(あるミニコミ紙に掲載分を部分抜粋)
「つい昨年までは、小丸川揚水発電所の中枢制御機能を設計する業界にいた。過去数年、東京電力、中部電力、関西電力などの、日本および世界的に大規模な揚水発電の設計に携わってきた技術者の一人として、現在の心境は極めて複雑である」
「小丸川水系の揚水発電所と鹿児島県側の川内原発を結ぶ、送発電ルート。もっと言うならば、将来の串間原発までも視野に入れたものかもしれない。ラインを支える鉄塔は、今では、野尻町や須木村、えびの市の森林の中に既に異様な姿を見せ、さらに日本有数の照葉樹林である、綾の森の周辺にも建設されようとしている。景観もさることながら、鉄塔建設工事や架線工事に伴う、森林の部分的破壊は避けられない運命にある。
綾の照葉樹林は、今は亡き綾町長が必死の思いで国の方針と戦って保存に成功し、「照葉樹林の町」の名のもとに観光と町おこしを成し遂げた…といわれ、今では国の貴重な財産である。自然の森の命は、生態系の維持と共に、それを支える地域、人々の意識によって将来に引き継がれていくものだ。では、森の財産とは一体何かと問うに、森そのものに限らず、景観も重要な要素であって、本来、自然が作り出した景観と、人工物が違和感なしに融合すると思えない。」
「揚水発電は、原発が存在するが故の、必要悪なのである。原発が存在するばかりに、建設せざるを得ない電力の捨て場が揚水発電と言えなくもない。発電所としての利用率が低いのは、むしろ当然のことと言えよう。
原発は、出力調整が難しく、過去に実験されたものの失敗した経緯があり、出力固定で発電を余儀なくされるために、(電力の需要増減にかかわらず常に運転しつづけなければならないということ)夜間の原発の余剰電力を揚水発電所へ逆送し、発電機をポンプとして運転して、下ダムの水を上ダムへ揚げる。
昼間、電力不足の時に限って、発電所として運用する。極端にいえば、原発さえなければ不要な施設が揚水発電所なのである。
今、自然と人間の共生と言うテーマを掲げて観光を語る立場から、この鉄塔問題を思うとき、原発の必要性に多少の理解を示しつつも、その付属物が、貴重な財産である自然の森にとって、異質な文明の産物として立ちふさがったような、複雑な気持ちなのだ。
本庄川(綾南川)流域の、ある場所から綾、国富の北西を眺めたとき、送電ラインの鉄塔ばかりが、異常な景観を見せる一角がある。けっして、自然多き宮崎の風景には似つかわしくない。そんなことを考えながら、頭の中では、東北地方の白神山地に、思いを馳せる自分が居る。自然を守るには、文明の理屈では不可能だ。
文化と共に生きるという、純粋な観点から考えない限り、いつしか自然は、文明の理屈に押されて衰退していくだろう。電灯の光は、原発だけが生み出すのではない。
自然と共生しながら、水力や太陽発電、さらに燃料電池など選択肢はたくさんある。ましてや世の中の流れは、ヨーロッパに見られるように脱原発そして分散型発電システムへと移行しつつあるようにも見える。
大規模送発電システムは、自然災害に対しても弱点があり阪神大震災の実例が示すように冷却水を必要としないガスタービンを使った分散型発電システムなどのほうが、地震のような災害時には極めて有効な場合がある。
また、工業文明に以前ほどの成長度合いや、必要性を感じない現代では、もう電力事情も充分すぎるようにも思えるのだが…・貪欲な文明を追求すればともかく、文化中心の世界では、電力は最低限度で足りるはずなのだ。
原発だけが、発電の唯一の方法でないからこそ、原発や付帯物である揚水発電も鉄塔も常に議論の対象となるのである。こんなときにこそ、1電力会社でなく国の方針の転換が必要なのだと、改めて痛感する
● 綾の森をめぐる最新の出来事
@ 作家、松下竜一氏(大分県中津市)が、7月23、24日、宮崎県綾町を訪れた。目的は、日本最大の照葉樹原生林に立つ鉄塔建設予定地視察のため。
松下竜一氏は、7月23日午後7時、同町の綾川荘にて開催された「綾の森と景観を守る市民行動実行委員会」主催による「松下竜一氏を囲む会」の席上で、40分程講演を行った。
その中で鉄塔建設に反対を表明している人々を励まし、次のように述べた。
「今日、ここに来て綾の森を歩かせてもらい、本当にこの貴重な自然を、この地元で守ろうと活動しておられる皆さんの存在に深い共感と敬意を覚えました」
会場には、「綾の森と景観を守る市民行動実行委員会」のメンバーや宮崎市内や近隣の町在住者、千葉県等から約25名(新聞社4社を含む)が集まった。
松下竜一氏は、綾町の別の席上で7月24日次のようにも述べた
「綾には圧倒的自然がある。豊饒の自然というか、それに鉄塔を聳えさせるということ自体、本当に自然への畏敬を忘れた冒涜行為としか思えない」 −
―松下竜一氏綾町訪問の記事は、7月24日付けの読売新聞宮崎版に掲載されました―
A 「宮崎の照葉樹林ネットワーク」(代表理事・上野登宮崎大学名誉教授)は、スイスのオーディマ・ピゲ財団からの綾の森への助成金を受け7月20日、「夏休み親子触れ合い体験照る葉の森」シンポジウムを開催し、東京や近隣在住者約300名が会に参加するため綾町の川中キャンプ場に集った。
会のメンバーであり、「綾の自然と文化を考える会」代表の郷田美紀子女史は、宮崎県内のラジオ番組、MRTに出演し、(毎週水曜日に出演中)、シンポジウムの報告や綾の自然を子孫に伝えていく大切さを訴えた。
松下竜一氏 略歴 |
1937年 |
大分県中津市で生まれる。1954年母親の急逝のため家業の豆腐屋を継ぐ。 |
1962年 |
朝日歌壇を舞台に短歌の創作を開始。 |
1968年 |
「豆腐屋の四季」を自費出版。1969年「豆腐屋の四季」講談社より刊行。ベストセラーになる。同年、テレビドラマ化され1969年に半年間テレビで放映される。(主演は緒方拳) |
1970年 |
豆腐屋を廃業し作家生活に入る |
1973年 |
「豊前火力絶対阻止・環境権訴訟をすすめる会」結成、機関誌「草の根通信」創刊 |
1998年 |
「草の根通信」300号突破。現在購読者数は約1700人。 |
1998年 |
松下竜一著作集「松下竜一 その仕事」全30巻刊行開始 |
松下竜一氏 主な著書 |
書名 |
出版社 |
発行年 |
本日もビンボーなり |
筑摩書房 |
1998年最新刊 |
豆腐屋の四季 ある青春の記録 |
講談社 |
1969年 |
吾子の四季 |
講談社 |
1970年 |
歓びの四季 |
講談社 |
1970年 |
風成の女たち |
朝日新聞社 |
1972年 |
5000匹のホタル |
理論社 |
1972年 |
暗闇の思想を |
朝日新聞社 |
1974年 |
檜の山のうたびと |
筑摩書房 |
1974年 |
明神の小さな海岸にて |
朝日新聞社 |
|
環境権ってなんだ |
ダイヤモンド社 |
1975年 |
五分の虫、一寸の魂 |
筑摩書房 |
1975年 |
砦に拠る |
筑摩書房 |
1978年 |
潮風の町 |
筑摩書房 |
1978年 |
疾風の人 |
朝日新聞社 |
1979年 |
負けるな「六平」 |
講談社 |
1979年 |
ケンとカンともうひとり |
筑摩書房 |
1979年 |
あしたの海 |
理論社 |
1979年 |
豊前環境権裁判 |
日本評論社 |
1980年 |
海を守るたたかい |
筑摩書房 |
1981年 |
いのちき してます |
三一書房 |
1981年 |
ルイズー父に貰いし名は |
講談社 |
1982年 |
久さん伝 |
講談社 |
1983年 |
ウドンゲの花 |
講談社 |
1983年 |
いつか虹をあおぎたい |
フレーベル館 |
1983年 |
憶ひ続けむ |
筑摩書房 |
1984年 |
小さな手の哀しみ |
径書房 |
1984年 |
記憶の闇 |
河出書房新社 |
1985年 |
小さなさかな屋奮戦記 |
筑摩書房 |
1989年 |
どろんこサブウ |
講談社) |
1990年 |
母よ、生きるべし |
講談社 |
1990年 |
ゆう子抄ー恋と芝居の日々 |
講談社 |
1992年 |
怒りていう、逃亡にあらず |
河出書房新社 |
1993年 |
ありふれた老い |
作品社 |
1994年 |
底抜けビンボー暮らし |
筑摩書房 |
1996年 |
汝を子に迎えんー人を殺めし汝なれど |
河出書房新社 |
1997年 |
小丸川揚水発電所計画をめぐる主な経過 |
■1992年 |
2月 |
九電串間新規原発の立地打診が表面化、川内原発増設も同時に浮上。 |
4月 |
小丸川揚水発電所建設計画が浮上(宮崎日日新聞がトップで報道)
「平成の新しき村整備事業」採択(国土庁の山林都市交流環境整備事業) |
7月 |
九電が小丸川開発事務所を開設 |
9月 |
九電が宮崎県、木城町、地元2漁協の4者に環境影響調査を申し入れ
黒木木城町長が「平成新しき村」計画地を川原地区から石河内地区に変更提案(10:4で否決) |
11月 |
九電が環境影響調査を始める(地形、地質、気象、動植物など) |
■1993年 |
7月 |
小丸川揚水発電所計画を要対策重要電源に指定(総合エネルギー対策推進閣僚会議) |
■1994年 |
4月 |
木城町が「電源対策室」を新設 |
■1995年 |
4月 |
九電宮崎支店が、小丸川揚水発電所は1998年7月着工
2004年10月1期工事完成。運転開始と発表、建設費2000億円。
2005年10月に2期工事完成予定 |
6月 |
宮日が環境に優しい発電所として小丸川揚水発電所推進の社説を掲載 |
7月 |
九電が宮崎県、木城町、地元内水面漁協に建設正式申し入れ
総事業費2400億円 |
8月 |
宮日が小丸川揚水発電所は電力自給率の向上などで必要と社説 |
10月 |
小丸川発電所環境影響調査書の縦覧始まる
九電が地元説明会を木城町役場で開催 |
12月 |
「小丸川の水を考える会」と「原発いらん・みやざき」が木城町議会に揚水発電所建設反対の陳情書を提出 |
■1996年 |
3月 |
小丸川揚水発電所計画の電調審上程延期(クマタカ保護を理由) |
4月 |
九電がクマタカの現地調査を実施。宮日が上部ダムから2kmのところでクマタカを撮影 |
■1997年 |
2月 |
木城町が重要電源等立地推進対策補助金の助成を受けて大林信彦映画監督の講演を実施 |
3月 |
九電が小丸川揚水発電所計画の電調審上程を目指すと公表 |
7月 |
国の電源開発調整審議会(電調審)が小丸川揚水発電所計画を了承
下部ダムは400m上流に移動(クマタカ保護のためと説明)、上部ダム100万トン縮小総事業費2600億円、99年2月着工、2006年運用開始予定と発表 |
12月 |
「綾の自然と文化を考える会」が小丸川幹線の巨大鉄塔と送電線に反対の請願書を綾町議会に提出 |
■1998年 |
2月 |
小丸川発電所修正環境影響調査書の縦覧が始まる(ダムの位置・形状変更やクマタカ追加等) |
3月 |
綾町議会が「巨大送電鉄塔を綾照葉樹林に建設する計画の撤回に関する請願書」を賛成多数で採択(賛成11、反対2、退席2)
「綾の自然と文化を考える会」が九電に、高圧送電線と巨大鉄塔の撤回を求めて署名簿(6226人分)を提示し要望書を提出 |
■1999年 |
2月 |
木城町と九電が小丸川揚水発電所の建設協定を締結(総事業費2600億円、第1期2006年・第2期2008年運開予定)
通産省が小丸川揚水発電所の工事計画を認可
九電は本体工事を夏に着工と発表 |
4月 |
「綾の自然と文化を考える会」が綾町議候補者に自然と環境に関するアンケートを実施 |
6月 |
「小丸川の水を考える会」と「綾の自然と文化を考える会」が小丸川揚水発電所建設工事の一時中止などを求めて宮崎県に申し入れ
(絶滅危惧動植物の保護や第3者機関による環境影響評価のやり直しなどを求める)
国富町が町政懇話会で小丸川幹線に賛成の意向を示す
西都市長が小丸川幹線を許容する一方、九電に環境アセスと西都原古墳群の景観に配慮しルート変更を求める方針を示す |
8月 |
小丸川揚水発電所絶滅危惧動植物保護などの問題で、宮崎県は「九電は移植等で対応」と回答、自らの主体的態度は示さず |
9月 |
「小丸川の水を考える会」と「綾の自然と文化を考える会」が宮崎県に追加申し入れ
(クマタカなどの保護のため、鳥獣保護区内の九電送電鉄塔計画の撤回などを求める) |
10月 |
「小丸川の水を考える会」が上部ダム池建設で水没する大瀬内谷のコウヤマキ群落(「植物群落レッドデータ・ブック」で最上位のランク4=緊急に保護対策が必要と掲載)を調査確認の上、「綾の自然と文化を考える会」と共に保護などを求めて宮崎県に申し入れ |
11月 |
九電が上部ダム池コウヤマキ群落の伐採計画(一部移植)を現地説明 |
12月 |
「小丸川の水を考える会」など5団体がコウヤマキ群落の保護等の更なる説明を求め九電に申し入れ
えびの市西内竪住民が電磁波などを理由に宮崎幹線建設反対の要望書をえびの市長に提出 |
■2000年 |
2月 |
九電がコウヤマキの移植を3月から行うと説明。「小丸川の水を考える会」と「綾の自然と文化を考える会」がコウヤマキ群落と希少植物の保護集会
九電に「小丸川の水を考える会」と「綾の自然と文化を考える会」が「公開質問書及び情報開示要請書」を提出
「小丸川の水を考える会」のコウヤマキ群落観察会で、九電が林道に立入禁止のゲート設置 |
3月 |
「小丸川の水を考える会」と「綾の自然と文化を考える会」が環境庁へ「大瀬内谷コウヤマキ群落」の保護に関する要請書提出
九電がコウヤマキの移植に強行着手。「小丸川の水を考える会」と「綾の自然と文化を考える会」が移植の中止を求め、九電に緊急申し入れ。 |
4月 |
綾町長が巨大送電鉄塔建設計画で環境アセス実施に同意 |
5月 |
「脱原発ネットワーク九州」が「大瀬内谷コウヤマキ群落」の保護に関して九電本社に説明を求める
席上、「小丸川揚水・送電鉄塔連絡会」が伐採計画の撤回などを求める。 |
6月 |
九電社長が来宮し、小丸川揚水発電所の起工式(安全祈願際)を行う。宮崎県版レッドデータブックで大瀬内谷コウヤマキ群落の「壊滅」区分が判明
「えびのの自然を守る会」が送電ルート変更を求め、市長に申し入れ |
7月 |
綾町長の九電への環境アセス申請について「綾町母親有志一同」が、公開質問状を提出
「小丸川揚水・送電鉄塔連絡会」が宮崎県に、コウヤマキの伐採中止要請と質問状を提出。 |
8月 |
宮崎県は大瀬内谷コウヤマキ群落の「壊滅」区分問題で典型性の欠落等と説明、残存林分は保護の対象と見解 |
9月 |
「小丸川揚水・送電鉄塔連絡会」が九電に、宮崎県版RDBに基づき「大瀬内谷コウヤマキ群落」での伐採中止を求める要請書提出。
宮崎県には「宮崎県版RDB」の記述変更と伐採中止を要請。
綾町や西都市で、九電が8月より環境影響調査を始めていたのが分かる。えびの市議会は宮崎幹線問題で市長の減給処分可決、ルート変更を求める住民の請願と陳情は不採択 |
10月 |
第4回揚水問題全国ネットワークシンポジウムが綾町で開催される
(全ての揚水発電所と巨大送電鉄塔の建設中止を求める綾宣言を採択)
(九電のコウヤマキ林破壊に対する抗議文も採択) |
■2001年 |
6月 |
九電の環境アセスの一部が綾町長の答弁で明らかになる。(ニホンカモシカの生息痕、クマタカの飛翔、宮崎県版レッドデータブック記載植物など確認) |
7月 |
綾町送電鉄塔に反対する小川さんを紹介したテレビ番組の後、綾町ホームページ掲示板に「森を残して」など多数のメールが寄せられる。 |
8月 |
宮崎県内市民グループが綾の森を守るため「綾の森と景観を守る」市民行動実行委員会を結成
綾町母親有志一同が、九電と宮崎県に文書で巨大送電鉄塔建設の見直しを求める |
9月 |
九電が綾町に環境アセスを報告(宮日は、専門家全員が建設反対と報道)。「綾の森と景観を守る」市民行動実行委員会等が、綾町長、町議会議長に九電の環境アセスを容認しないよう求める陳情書などを提出
綾町長が電力の公益性等を理由に巨大送電鉄塔建設容認 |
10月 |
綾町議会が巨大送電鉄塔建設を容認(九電の推進請願を採択=8:5)
綾町と九電が、巨大送電鉄塔建設の協定を締結
「綾の森と景観を守る」市民行動実行委員会が綾町送電鉄塔建設反対のメッセージ集発行 |
12月 |
綾町と九電が四地区で説明会開催(建設懸念の声が出る)綾町3団体が「綾送電鉄塔・住民投票を実現する会」を結成
「綾送電鉄塔・住民投票を実現する会」が九電本社を訪ね、送電鉄塔建設の凍結を申し入れ |
● 参考文献
・連載記事「どうなる日本一の照葉樹林と自然重視のモデル町」
ルポライター 早川文象
〜 雑誌「望星」2001年1月、7月、2002年1月、6月号他
・「旅して発見(11)日本最大の照葉樹原生林綾の森」
〜 月刊誌「日経サイエンス」2002年9月号
・ 「綾町の町作りを語る」 郷田實
〜「みやざきの自然」17号 0985−52−0200
・ 「結の心」郷田實著(ビジネス社)
・ 「命を守り心を結ぶ」――有機農業の町・宮崎県綾町物語――
聞き書き・郷田實(前綾町長) (自治体研究社)白垣 詔男著
・「照葉樹林帯の食文化」作陽ブックレット10 佐々木高明著
● 参考になるホームページ
小丸川揚水発電所・巨大送電線問題を考える http://www.mnet.ne.jp/~aokys/
松下竜一ファンクラブ
http://www3.ocn.ne.jp/~pwaaidgp/matusita.htm
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