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環境にやさしい原子力とは?


原子力発電については、今わたしたちがすぐに知らなければならないことの一つです。

それだけ一人の健康から地球の未来まで左右するものです。私たちの支払う電力料金が果たして環境に貢献しているものなのでしょうか?一緒に考えてみませんか?


Q:
原子力発電は、温暖化にやさしいといいます。でも、それは本当なのでしょうか?

A :
意外なことに、よく調べてみると、温暖化にやさしいどころか、消費電力をアップさせ、二酸化炭素の排出量を大きくし、しかもコストアップによる電力料金が割高になることが分かりました。

それは、出力調整がこまめに出来ないところから、あまり需要がないときの余計な電力の捨て場である揚水発電署の建設が合わせて必要になってくるので、まずコストがアップすること。

それに、消費される電力(無駄な電力)の分だけでも余計に二酸化炭素を増やしますが、さらに電力の需要にあわせて供給できないので、常にたくさんの電力を出し続けなければならず結果として電力を大量に消費続け、二酸化炭素を大量に増やすことになってしまっていたのです。

しかも、揚水発電にかかるコストは水力発電のほうとして記録されている場合が多いので、表面的には原子力発電はコストが安いように見えるのですが、じつはかなりコストがかかっているようなのです。

何だか良く分からないという方は、まずは、原子力発電に詳しい次の方のインタビュー記事を読んでみましょう

■藤田祐幸 先生インタビュー録

お話:慶応大学物理学教室 助教授 藤田祐幸
取材:フリーライター 中村いづみ

藤田先生は、1989年のNHK討論会で白熱した論議を交わされたお一人です。

●原発が増えると、自動販売機が増える?

藤田氏:
原発を増やすと火力が減ると思われている人が多いのですが、これは、間違えといえるでしょう。原発ではベースロールという深夜で使っている電力分しか充足できず、昼間の変動分は、ほとんど火力で調整運転をしているのです。ですから、原発の数は、深夜電力を超える電力生産をしていないと成立しないのです。

しかも、現在、原発は容量いっぱいのところに来ています。政府は20十年までにさらに20基の増設を計画していますが、20基増やすということは、夜の深夜電力を20基分増やさなければならないということです。

夜の消費電力が増えれば、必然的に昼間の消費電力が引き上げられ、炭酸ガスの発生量は増えます。結局、これは省エネにも、石油の節約にも、炭酸ガスの発生抑制にもならないですよ。そればかりか、いかに夜の消費電力を増やすかということが課題になる訳です。例えば清涼飲料水の自動販売機だけで、200万キロワットの電力を使っています。これは、原発2基分に相当するのです。

●放射性廃棄物の毒性について

中村:
原発では、作られた三分の2のエネルギーが海に捨てられるため、海水温が上昇し、水に溶け込んでいる二酸化炭素が放出されるので、炭酸ガス抑制にはならないという説もあるようですね。

ところで、十年経てば、放射能を消滅させる技術が開発できる、と当時(十年前)のNHK討論会で技術者が言っていましたが、十年後の今、そういう話は聞かないのですが・…

藤田氏:
結論からいって廃棄物についての解決の道はないといってよいでしょう。それを詳しくご説明したいと思います。その前に、原発の問題は、基本的に放射能問題だということを覚えておいてください。

それには、次の三つがあげられます。

1.大事故が起ったときの大気汚染

2.日常的な原発の運転で出る被爆労働者の問題

3.放射能廃棄物の問題です。

今回は、2番と3番目だけについてお話します。まずは、放射性廃棄物の問題からです。

まず、その量は膨大で廃棄物に含まれる量は大変なものです。
1基の原発で発生する廃棄物の量は、広島の原子爆弾の千発分に相当します。それが日本に52基 世界で420余りあり、 それが毎年生産されているのです。

そして、放射能の寿命の問題があります。
死の灰 と呼ばれる放射性廃棄物には、多くの種類の放射性物質が含まれています。 それぞれの放射性物質は、それぞれの物理的性質によって放射能は減衰していきます。半分まで減衰する 時間を半減期といいます。

チェルノブイリに行くと、一番強い放射能を出しているのは、セシウム137という物質。これは、半減期が三〇年。三〇年絶つと半分になる。千分の1まで減衰するには、半減期の十倍の時間が必要です。ですから、三百年たつと千分の一になる。プルトニウムの場合は、半減期が二万四千年。十半減期で二十四万年になります。

物理現象の時間というのは、十倍 十倍ではかる。対数メモリで考えてみていくと物理現象は分かりやすいのです。人間の時間で三十年というと、三十年前というとベトナム戦争が終わった頃。三百年前というと赤穂浪士の吉良邸討ち入りの頃。三千年前は、ソロモン王が旧約聖書の時代。三万年前は、クロマニオン人の時代。三十万年前は直立猿人の時代です。

そういう時間的スケールにわたって毒性を持ち続ける廃棄物を人間の技術で扱える得るかというのが、最初からの重要な問題だったのですね。

●行き場のない放射性廃棄物

放射性廃棄物を処理するに当たっての大原則は、水に触れないということです。水に触れると環境に出てしまうので、水とどう隔離するかが大切になります。

当初、南極の氷というのは、何万年分の雪が降り積もって固まっているのだから、南極の氷の中に捨てようという考えがあった。ところが、南極の氷の下は水で有るということが分かり、これがだめになりました。

次に岩塩鉱ですね。岩塩というのは、塩ですから水に溶けます。ですから岩塩鉱を掘った跡の穴というのは、地下水と接触しないのではないかと思われていました。調べてみたらアメリカの岩塩鉱は、水没していたことが分かった。地球で水に触れる場所はないということが分かった。

次に考えられたのが、宇宙廃棄。ロケットに積んで地球の外に捨ててしまおうということでした。ロケットの発射成功確立というのはそう高くない。このあいだのカッシーニの問題のようにもう一度地球に戻ってきてしまう。あるいは、打ち上げに失敗してその場で放射能がその場で出てしまうということになれば、元もこもありません。それで、それも不可能に。その次に方策がもうない、ということになりました。

そこで、推進波の人達は2つのことを考えた訳ですね。一つは、消滅という話ですね。これは、死の灰をもう一度原発の中にいれて、中性子線をあてて他の元素に変えてしまおうということです。

そのためには、莫大なエネルギーを必要とします。しかもある物質を消滅したときに他の物質を放射能に変えてしまう可能性も有ります。もし、それを本気でやろうとすると、膨大な量の何百種類もある死の灰を全部分離するという分離工場を作る必要があります。

再処理工場というのは、その死の灰の中からプルトニウムだけを取り出す工場が再処理工場です。それだけであれでけ大変なしかけが必要になる訳ですから、何百種類もの原子核を分離するには何百種類の工場を作らなければならない。そこからでる放射能廃棄物の量は、また膨大なものになります。ということで、消滅処理は、机上の空論であって、技術的には不可能です。

●日本における放射性廃棄物

そして、今、日本がやろうとしていることは、放射性廃棄物を溶けたガラスの中に混ぜて冷やし、ステンレスの容器に詰め、さらに厚さ10cm程の鉄の容器に密閉し、その周りを粘土で固め、地下100メートルに埋めるということです。これを最終処分といいます。

さて、最終処分場をどこに作るかが大問題になります。候補地として上がっているのは、北海道の幌延町、青森県の六ヶ所村、岐阜県の瑞浪市、岡山県の人形峠です。候補地が全部駄目になった場合、永久的に6ヶ所村から運び出されない可能性があります。可能性として、それが一番濃厚になってきています。

ところで、日本は4枚のプレートの攻めぎ合いでできた島で、毎年太平洋プレートは、7cmから9cmのスピードで押し寄せてきています。数万年という時間単位の中でそうした地層が安定であるということは、とても考えられません。

それから、瑞浪市の東濃鉱山で予定地としての工事が始まっており、地下1000メートルのボーリングしたサンプルを見せてもらいました。ずたずたに石が崩れ、表面は赤く変色し、明らかに地下水が流れた形跡があります。

日本に地下水に触れない安定した地層が存在する可能性は、ゼロでしょう。ですから、放射性廃棄物の処理、処分というのは、永久的に不可能なのです。

被爆労働問題について――最も過酷な被爆労働が現在進行中

中村:
ところで、先生は被爆労働者の問題についてもお詳しいと聞いております。

藤田氏:
どの産業でも同じ事がいえるでしょう。新幹線というのは、運転手がいれば動くというのではなく、車両を修理したり、補修したり、というありとあらゆる裏方の仕事があって新幹線は動くのですね。

原発の場合もコンピューターの入っている中央制御室で運転をすれば済むと思われがちですけれども、定期検査の場合、事故が起ったときは、大量の労働者が原子炉の格納容器の内部など放射性の高い領域で働きます。それは、多重下請け構造に支えられていまして、過酷な労働になればなるほど、第二次、第三次・…第五次という下野ほうの下請けがそれを担当します。

最も過酷な労働は、修理をする人達が現場で働く前にその現場の放射能をぞうきんで拭き取る作業をする清掃労働です。これに最も大量の労働者が動員されます。そこで働くのは、農村、漁村からの出稼ぎ労働者、それからヨセバ労働者、野宿労働者など、社会の最下層労働者が主に従事します。

今、福島第一原発というよりは、今年からは敦賀第1原発、来年からは、恐らく島根原発で。原子炉の一番中心部にありますシュラウドという構造体の交換作業が行われています。原子炉の中に千人余りの労働者が入って参加します。それはもう今まで考えられたことのないほど、過酷な被爆労働になります。

中村:
今までの中でですか?

藤田氏:
原子炉の中に人が入るということは、考えられなかったことですから。つまり、寿命のきた原発は、60年寿命を延ばそうとすると部品を全部交換しなければならないのです。ほとんど新品の原子炉に作り替えなければならないのです。そのために今大量の被爆労働が今、行われている訳です。

中村:
そういった現状というのは、あまり報道されない様に思うのですが、

藤田氏:
原子力問題は、基本的にいって、タブーです。原子力と日の丸の問題は、日本ではタブーです。ですから、原子力を扱ったジャーナリストは、飛ばされますよ。知ってても報道しない、できない。ちゃんとした報道ディレクターは、ためて 一発報道して、転職する。特に被爆労働の問題は、難しい問題で差別の構造になります。

今、自分は、ヨセバ野宿者に「原発に行くな、殺されるぞ」いうチラシを配るということをしています。今、横浜の駅周辺の野宿者のパトロールを手伝いながら、日本中の野宿者にメッセージを送るということをしてますが、そこにどういう人達がいるかというと、在日朝鮮韓国人、被差別部落の人達、アイヌの人達、琉球の人達、こういう人達がいるわけです。

こういう人達が汚い、臭い、恐いなどという差別蔑称の中で路上で暮らしているわけですが、その人達にメッセージを伝えると、いうことを市民運動でお手伝いをお願いしてもいわゆる市民運動の中にも、差別意識といものがあって、もちろんマスコミ、ジャーナリズムの中にも差別意識があって、その人達の人権を守ろうとする僕たちの運動を支援する人達は、極めて少ないというのが現状です。

そういう中で、Kさんという五十二才の男性の問題について関わっています。四年、もうすぐ五年になりますが、福井県の大井原発に溶接工として働きに行ったKさんは、実は、新聞広告で溶接を求めているというのを見ていったのですが、ところが現場では溶接ではなく、蒸気発生器の交換作業だったのですね。しかも仕事は、ようじょうという、要するに汚染されたところを雑きんで拭いたり、ビニールシートで貼ったり、という作業が主だったのです。

ある日、配管を切る作業があって、その配管の中にもし少しでも水が残っていると、放射能が出るのから危ないというので、二人で下でビニールシートで持って、こぼれた水を漉くおうとしていら、その配管が生きていた、つまり、水を抜いていなかったので、上から大量の水を頭から浴びた。

それで、恐くなってやめて帰ってきたのですが、それから、寝たり起きたりの生活が続いておりまして、ヘモクロマトーシスという大変難病にかかっています。入退院を繰り返して生活保護を受けて暮らしていますけれども、おととい、倒れて救急車で運ばれた、という連絡がり、そのあと、連絡がとれなくなっています。そういう人達がたくさん入るわけですが、見殺しになる訳です。

中村:
何人くらいいるのですか?

藤田氏:
これまで原発で働いた人の数は三十万人です。これまで、恐らく数百人の規模でなくなっていると思われますけど、野宿者とか、そういう人達は、補償がないものですからね。場合によっては、住民票もないわけですから、全く闇の中です。そういう人達の命と引き換えの、犠牲の上にしか成立しない原子力というものが、人間として許さないという立場を私はとっています。

中村:
福岡県の方は、住民票がある方ですね。その他にも病院にも行かれないような人がたくさんいるのでしょうか。

藤田氏:
それから、被爆と病気の因果関係を実証することは、事実上できないのです。あるとき、ガンで亡くなった。原発で働いてなったのか、排気ガスでなったのか、たばこでなったのか、原因を特定できないのですから、因果関係を立証することは、できない。それをいいことに、使い捨て労働者というものを導入している。これは、現在の奴隷制度かと僕は考えています。

中村;
コストの問題について科学技術庁では、原発が他の電力源より安く見積もっていますが、そのことは、どう思われますか?

藤田氏:
廃棄物処理コストは、入っていないのです。これからの問題になるのですから分からない。膨大な額になる可能性もあります。穴掘って埋めちゃえば安いでしょうね。安く済ませようと思えば、いい加減なことしか出来ませんよね。

中村:
どっちにしろ、その処理をきちんとしようとすれば、国民に負担がかかるし、いい加減にやられれば、日本中が放射能で汚染されるかもしれませんね。地下水は、常に動いているわけですから。

藤田氏:
そうですね。そのときにいったい誰が責任を取るのかという問題があります。コストの問題は、どうでもいいと思っているのです。仮にコスト安かろうが、やっていけないことがある訳で、その原子力をやるかやらないかは、コストの問題ではないわけだと思うのです。

問題は、責任に対しての問題。今、言ったように千年たっても、1万年たっても消えない毒物を生産した会社が百年後に存在しているかということですね。動燃という組織は三十年で解体してしまったわけでしょう。

電力会社は、戦後できて五十年しか経っていないのでしょう。東京電力が千年後に存在するか。それ以前に日本という国家が存在するか、という問題があるわけです。ですから、数百年後に放射能汚染の問題が顕在化したときに、一体だれが、その責任をとるのかというときに、実は、負うべきは、二十世紀の我々なのです。二十世紀の我々が三十世紀にどのように責任がとれるのか。こういう問題が問われるのです。こんなことは、今まで誰も考えてことがありません。

中村:
原発をやめたら、どういうエネルギーが考えられるでしょうか?

藤田氏:
これは、短期、中期、長期、超長期、といろいろなレンジでものを考える必要があります。一番長いレンジでものを考えた場合のことをいいますと、縄文時代から例えば、こういう ふうに考えましょうかね。 一九九九年で来年から二千年に入ります。これから、千年間は、頭に2のつく時代が始まります。頭に1のつく時代は、千年続いて今年で終わります。

そういう千年区切りの時代の考え方をミレニウムといいます。百年単位をセンチュリー、百年単位をミレニウム、すると今我々は、三回目のミレニウムに入ったことになります。過去、7千年、一万年くらいとって考えてもいいかもしれない、人類使った一人当たりの消費エネルギーというものは、あまり変わっていないのです。もちろん増加していますが、あまり増えていないのです。一九五〇年まであまり変わっていないのです。

第2ミレニウムの最後のセンチュリーの最後の五十年というのが、一九五〇年。ここから石油に依存した社会構造になり、エネルギー消費量が飛躍的、パルス的に増えています。

これは、ほとんど石油に依存したパルスです。それに味をしめて、成長経済というもっと消費が増えるんだという考え方が半世紀ほど人類を支配しました。そのまま増え続けていったらどうなるのか、ということが二つの問題が発生します。

一つは資源枯渇、それを資源制約といいます。もう一つは、、環境制約、資源を使ったことによる環境汚染によって、生命の活動に重大な問題をもたらす。資源制約と環境制約の問題が第三ミレニウムの早い時期に起る。でそれは、たぶんエネルギー問題ではなくて、食糧危機というみたい形で地球全体に大騒乱が起るということがよそうされます。

ですから、ずーっと何千年もきたのが、パルス的に上がっていった。これをどのようにして、元の水準にもどすのか。二十世紀人が三十世紀の人たちにどういう地球を残すのか千年単位でものを考えるには、やはり、できるだけ早い段階で一九五〇年の水準にエネルギーの消費構造を転換してかなければならない。これは、戻すというよりも、前向きに戻していくというね、ドイツなんかで一生懸命やろうとしていますけれども、そういうふうに、どうやってパルスを破局の前にもとの、ソフトランディングさせるのか、というのが、超長期的に考えたときの課題だと思っています。

中村:
そうすると、エネルギー消費というのは、環境破壊と比例すると先生はお考えなのですね。

藤田氏:
あのーもう少し今の話を続けますとね、実はプルトニウムというのは、半減期で2万4千年でしょう。すると、今まで第1ミレニウムが終わって、第2ミレニウムが終わろうとして、第三ミレニウムが始まろうとしていますよね。半減期に達するまでにミレニウムを二十四回繰り返さなければならないのです。これが、2万4千年とい意味です。

そして、百年を二四〇回繰り替え臼ということ。これをよほど肝に銘じないと、我々は思い上がった三十世紀の考古学者が我々をどう評価するか、というスタンスが必要になりますよね。

それで、縄文時代から一九五〇年までの人類はどういう生き方をしてきたかというと、基本的に太陽のエネルギーに依拠する生活してきた。すべての地球上の生命体は、太陽のエネルギーによって生きています。我々人類も太陽のエネルギーに依拠するライフスタイルに戻していく。部分的に化石燃料を使うことには、全く構わないのです。基本的太陽エネルギーということです。

太陽エネルギーというのは、どういうのかというと、例えば、雨が降りますね。これは、海の水が、太陽のエネルギーによって蒸発して、雲になって、高空に運ばれて山に降る。と、そのことによって、水に位置のエネルギーを与えて川に流れるんですね。その水の流れを使ったエネルギーをとる。同じように太陽が照っていても海と陸、北と南で温度の差ができますから、風が発生する。その風のエネルギーを利用する。

太陽の光によって、植物は、はっぱで炭酸増加作用をして光合成をして、炭水化物を生産します。すべての生物は、この植物の生産した炭水化物を食べて、そこに蓄積された太陽エネルギーを自分の生命エネルギーに転化して生きていくのですね。

木の葉や木は、すべて太陽エネルギーの凝縮したものですから、それを燃してエネルギーをとる。これが、槙や炭ですね。また、それを還流してガスにしてエネルギーをとる木質ガスですね。食べて動物がうんこしてそのうんこを発行させるとメタンガスが出ます。このメタンガスを燃すと熱がでます。これも太陽エネルギー転化されたものですね。

そういうものをすべて含めて自然エネルギー、太陽エネルギーだと僕は言いたいわけですね。そのエネルギーに依拠している限り、汚染は、環境破壊は発生しないです。

藤田氏:
技術者が視野が狭すぎる。科学技術の時代になっていて、哲学とか文学的レベルが非常に低い。人間はもっと文学的であれ、といいたい。文学的、哲学的、歴史を認識したライフスタイルが重要。つまり人間の価値観を基本的に問う問題です。

基本的に僕は定位置として、進歩、発展、成長、競争の4つの概念から開放されることが、大切であると思います。これらの4つは、すべて地球環境を食い物にしているイデオロギーだと思います。でも、それに何を対置させるのか、僕にもまだはっきり分かりません。

共存、共生とか、いろいろな言葉あると思います。けれども、問題は言葉ではなく、その後ろにくっついている思想体系ですから、今、その思想体系を作らなければいけないとおもうのですけれども。

 

●インタビュー後録(中村)

藤田先生へのインタビュー録をまとめ、ある会報誌に記事を書き終わって原稿を提出した次の日に東海村の事故がありました。びっくりしました。悪いニュースでしたが、ちょうど、関心持って読んでいただけたかもしれない、とも思いました。

あの事故は、かなり危ない事故だったと思うのですが、日本政府の原発推進への方向は変わらないようです。ヨーロッパでは、チェルノブイリの事故以降、原発廃止の方向にむかっています。アメリカでは、スリーマイル島の事故後、規制がきびしくなり、原発ではコスト高で採算が合わないことから、天然ガスなどへの切り替えが行われました。

原子力安全委員会で、安全に対する万全な対策は充分にしていくとはいっても、地震列島日本で、本当に大丈夫なのでしょうか。藤田先生のお話からしても、事故に対する危機意識がまだまだ低いのでは、と思うところですが…。他に燃料電池や、自然エネルギーなどに転換すれば、原発を減らしていくことも充分可能であるという専門家が増えてきている中、益々疑問が残るこの頃です。


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